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2007.12.25
蓜島庸二展「新註結縄文集成」(全48輯)関連企画VOL.1
蓜島庸二との1問1答(全11答)

蓜島庸二さん

さて、今回馬喰町アート+イートで
展示をする蓜島庸二さんの作品、
「新註結繩文書」って
一体なに???という方も多いと思います。

この作品、蓜島さんが2005年に
国際芸術センター青森のアーチスト・イン・レジデンスに
参加した際に打ち立てたプロジェクトで、
話しの始まりは、15世紀にグーテンベルクという
銀細工師が金属活字と活版印刷術を
発明したところまで遡ります。

活版印刷の発明により、
それまで少数の特権階級の間でしか
流通していなかった
「本」という知の記録が「マスメディア」にまで
もの凄い勢いで拡張し今日に至っています。
そして今またITという新しい革命によって
「本」は知、或はメディアの主役の座を
インターネットへと譲り渡そうとしています。

そんな今、「本」というメディアが果たした
功績に対するオマージュとして、
「本」を「炭」にして(蓜島さんは「環境活性炭書」と命名)
文明が作り出した環境の歪みを
浄化しよう、というもの。

馬喰町アート+イートでは、
この作品を理解するために、シンプルな11の質問を投げかけてみました。

* * *

1. 炭にしたのはいらない本ですか?自分が大事にしている本も炭にしているのでしょうか?

H:基本的には、必要がなくなった本です。ただ、今度の企画で、グーテンベルクへのオマージュ、ということから、どうしても、 マーシャル・マクルーハンを考えなくてはならず、「グーテンベルクの銀河系」という名著と、それから私の二冊の著書「町まちの文字」と「祈りの文字」を、一つにくくって、塩竈焼きにしました。ですが、基本的には再販制度の中で溢れ返っている、しかも用済みになった本を提供して頂いています。

2. はじめから本を炭にする方法をご存知だったのですか?(人は知識があるからモノが作れるのか、それとも知識がなくても発想することができるのか)

H:本を炭にすることは私が初めて(たぶん)やることです。ただ、本を灰にするということは、秦の始皇帝の、世に言う「焚書坑儒」があります。それから、フランソワ・トリフォーの映画「華氏451」があります。これらはいずれにしても権力者の言論弾圧としてやったものです。もちろん私の「グーテンベルグ炭書」は全く違うもの、ということはお判りいただけると思います。また、私が初めて「炭書」を作った後で、WOWOWで見たのですが「The Day After Tomorrow」という映画。 気候異常で大寒波が押し寄せるニューヨークで、図書館に避難した何人かが、押し寄せる寒波に、片端から本を燃やして暖をとる、という話です。

3. ひとつひとつの結び目に意味があるのですか?

H:ありません。私の作る結縄文はまったくのフィクションです。ですからその結び目には、普通云う「ことばの意味」という意味での意味はありません。ただし、この中には長い私の人生の中の、その時々で身に付けた結びの方法とスタイルが込められています。例えば私が子供の頃、釣りの好きな父から教わった釣り糸のテグスの結び方や、釣り針を結ぶ独特な結び方。軍国少年団の訓練で身に付けた結縄法。また、房総半島の一漁村で暮らすようになって、そこの漁師から教わった漁師たちの漁具のロープの結び、他には、堅結び、連続堅結び、8字結び、植木屋の垣結び、祝儀袋などの熨斗の結び、などなどが、造形的な感覚で、ここは釣り針で、ここは8字結びで、というように結んでいます。

4. 束ねた本の内容と結び目には関連があるのですか?

H:全くありません。内容には関係有りませんが、本の大きさや重ねたときのボリュームによって違ってきます。

5. 本を炭に焼くという行為は、ドローイングのように直接自分のからだから出た表現ではないので、ある意味では思いつけば誰にでもできると思う。そういう表現に挑むときに背中を後押ししてくれるものは何ですか?

H:私は常々、体と心、とを区別して考えないので、本を焼く行為が体のモノでない、とは思えないのですが…。従ってドローイングが身体的なモノから描かれる、とも思っていないのです。
そこでお訪ねのテーマを、「私の今までの仕事のなかには、炭書のような立体作品はなかったので、いわば私にとっての異分野である立体作品、しかも本を焼いてしまうという、スキャンダラスな仕事に向かわせるものは何か」というふうに読み替えると、青森の美術館での茶会の最中に受けた啓示があります。ユーレカ!というあれです。以前に、本で少しだけ書きましたが、それは会期中何かの機会を通じて、ぜひ皆さんに聞いて頂きたいものです。

6. 知識は何をもたらしたと思われますか?

H:知識は、なにもグーテンベルク印刷術の発明がもたらしたモノではありません。ですからここではグーテンベルク以後の知識の姿がどう変わったか、ということになります。先の「The Day After Tomorrow」の中にはこんなシーンがあります。図書館の稀覯本の部屋から、例のグーテンベルク42行本を抱えだして、消却から守ろうする青年のことばです。これは「人類が印刷した最初の本だ。この本が “理性の時代” の到来を告げた。書物こそ人類最大の発明だ。笑ってもいい、「西欧文明が滅びる」というのなら、その小さな一片を後世に遺したい」その理性の時代の姿は皆さんの知る通りです。勝手に括弧で括ってみましたが如何でしょうか。会期中にぜひ、いろいろとご意見をお聞かせいただくのを楽しみにしています。

7. 消えてしまった文字(文化)が残っていたら、今の生活は変わっていると思いますか? もしそうならどんな風に?

H:残っていたら、というのは、単に博物館的に遺る、というのではなく、現代の社会生活のなかでファンクションを持っている、ということでしょうか。それは大いに変わる、あるいは変わったと思います。そう気付いた出発にレヴィ・ストロースの「野生の思考」とか「今日のトーテミズム」があるのではないでしょうか。

8. クローンド・ヴィーナスシリーズ(平面)と今回の作品(立体)は関係しているのですか?

H:はい。大いに関係しています。ごく大まかに云えば「予兆・そして破壊と再生」というキーワードによってです。そして「割れ茶会」従って「金継』も。そのキーワードは、私に平面と立体、自己と他者、という二項を超えさせてくれます。青森の炭工房「勘」の仕事との付き合いも、同じく「破壊と再生」の炭焼きとして、私にとって超越的に他者なのです。

9. 活字を定着するのになぜ蜜蝋を選ばれたのですか?

H:私はグーテンベルクの活版術の発明は、あの機械を作ったというよりは、むしろ活字の鋳造機を発明したことだと思っています。あれは中世の終わりにあったあの時代に、まだ存在した錬金術であり、軟らかい金属と固いそれ、男型と女型の結合といった一つの生命観。その結合の始めに金属の溶解、という過程があります。低温で溶解する金属。低温で溶解する蜜蝋。これは私のミツバチたちへの思いの一端です

10. グーテンベルクへのオマージュというテーマで、本を炭にするという以外に何か考えていらっしゃることがありますか?(今後の展開として)

H:いまのところこの展覧会のことで精一杯ですが、そのうちに何か出来るかもしれませんが…。

11. 48輯のオブジェを一体としてバラバラにしないということですが、それは地球上のどの場所に置かれるのが最もふさわしいと思われますか?

H:なるべく大都会の、しかも北半球的な…。どこでもいいのですが、あの物体が安定的に鑑賞されればいいのですが。本である炭が、環境を浄化する必要のある(そのためには或る程度の量で置かれたい)文明都市で文明の終わりを予感させる何かになれば、と願っています。

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